情報システム部門の仕事は、技術だけでは語れません。
現場の運用を支えながら、事業部門や経営、外部パートナーとの調整役を担うなど、組織全体を支える役割を求められる仕事でもあります。
こうした経験を積み重ねながら、情シスとしてのキャリアは形づくられていきますが、その道のりに迷いや悩みを感じることも少なくないのではないでしょうか。
IIJが展開する「IIJ 情シスBoost-up Project」では、情シスの皆さんに向けて、知識や視点、前に進むためのヒントを発信してきました。その一環として新たな切り口でお届けするのが「情シスキャリアライブラリー」です。
情シスとしての実務経験も持つノンフィクションライター・酒井真弓氏をナビゲーターに迎え、システム関連部門で活躍してきた先駆者たちの歩みや意思決定、仕事観を丁寧にひも解きながら、情シスとしてのキャリアのヒントを探っていきます。
初回のゲストは、P&G、フィリップモリスのIT部門を経て、日清食品ホールディングスで8年間CIOを務めた喜多羅滋夫氏。2021年に独立し、現在は企業のDX推進やIT組織づくりを支援する傍ら、「CIOの学校」にも関わるなど飛び回っています。そんな喜多羅さんに、キャリアの原点から、AI時代の情シス像、そして「会社の看板を外しても戦えるプロ」になるための思考法まで、たっぷり伺いました。

酒井
ITの世界に足を踏み入れたきっかけを教えてください。

喜多羅
高校生の頃、通学路にNECのオフィスがあって、PC-88が自由に触れる環境があったんです。麻雀好きの友だちと一緒に、「これを実行したら麻雀ゲームができるはずや」と、ASCIIの本を見ながら2人で1週間かけてソースコードを打ち込んで、いざ実行したら、3行目でエラーが出て止まってしまったんです。それが私とコンピュータとの最初の遭遇でした(笑)。
動かなかったけれど、「どういう仕組みで動いているんだろう」という好奇心は残って、大学では情報工学を専攻しました。卒業後は航空系のシステム会社を目指したんですが、ことごとく落ちて。手当たり次第に応募した中の1社がP&Gだったというのが正直なところです。

酒井
1年目から情シスに配属されたんですよね。

喜多羅
配属後すぐ任されたのが、パソコンのサポートでした。私は、「そんなことをするために大学を出たわけじゃない」と啖呵を切ったんですが、上司は涼しい顔で「まあ聞け、他の誰もまねできないくらい完璧にやってみろ」と。「そうすれば周りは『こいつにもっと大きな仕事を渡さないともったいない』と思うから、とことんやれ」と言うわけです。
その言葉を信じて必死にやったら、半年後には新たなチャレンジが舞い込んできました。大事なのは「Beat the expectations」――期待値を満たすだけでなく、はるかに越えるくらいやりきること。そうすることでチャンスが訪れる。あのとき叱らず大切なことを教えてくれた上司に、今でも感謝しています。

(写真は25歳当時の
喜多羅さん)

酒井
他にも、上司の言葉で印象に残っているものはありますか?

喜多羅
「勝利というのは相手を打ち負かすことではなく、自分が設定したゴールを達成すること。『失敗したら』『うまくいかなかったら』と考えた瞬間に、そっちへ流れていく。勝利のイメージをまず持て」と。これも大切にしている教えの1つです。
P&Gでは、本当に素晴らしい上司に恵まれました。そのうちの1人には、日清食品のCIOになってからも、ご自宅に会いに行ったことがあって。最初は「よく頑張ってるな」と嬉しそうに聞いてくれていたんですが、途中からスイッチが入って「お前ならもっとやれると思ってた」とボロクソに言われて(笑)。後ろで奥さまがトントンと味噌汁を作っていて……あの光景は今でも忘れられませんね。

酒井
30歳でインドネシアに赴任されたそうですね。

喜多羅
ある日突然呼び出され、「インドネシアに行け」と。0.5秒ほど固まって、すぐに「この会社でしかできない経験ができそう」とワクワクしました。坂本龍馬じゃないですが、「倒れるときは前のめり」という気持ちで飛び込んだんです。
ところが着任してみると、待っていたのはインフラの仕事。当時の私はアプリ関連がメインで、インフラはほぼ未経験でした。どこでどう間違えたのか、タイ人の上司から「お前これできてへんやん、ちゃんとやれや」と、毎日のように発破をかけられました。
その上司が、「キャリアは椅子と同じ。3本以上脚があってやっと安定する。上にいろんな物を乗せやすくなる。プロフェッショナルとしてやっていくならば、3本の脚をどうやって作って伸ばしていくか考えなさい」と言ってくれたんです。「インフラをやったことがないなら、今からその脚を作れ」ということですね。
それで現場に入って、工場にネットワークを接続したり、各営業拠点のPC環境を整備したり、サーバのキャパシティ管理をしたり。やってみると「こういうことか」と腑に落ちて、苦手意識がなくなっていきました。

酒井
今の喜多羅さんの3本の脚は何ですか?

喜多羅
IT・ビジネス・イノベーションです。3本の脚が大事なのは、キャリアを安定させるためだけでなく、自分のユニークさを表現するためでもあります。ITが分かる人、ビジネスが分かる人はそれぞれたくさんいますが、両方分かる人となった途端にぐっと減る。更にイノベーションの目利きもできるとなると、もっと絞られます。3本がベン図のように重なったところに、その人にしか出せない価値が生まれるんです。

酒井
ここまで順風満帆な喜多羅さんですが、キャリアの中で挫折はありましたか?

喜多羅
いろいろあるんですが、35歳頃、P&Gからベンチャーに転職したときですね。セールス・マーケティング領域へのキャリアチェンジ。最初はいい転職をしたと思っていたんですが、P&Gという整地されたグラウンドで「あれもできる、これもできる」と思っていたのが、実は下駄を履かせてもらっていただけだったと痛感しました。
2ヵ月で辞めて、しばらく無職になり、2歳半の息子を連れて東京駅に新幹線を見に行って、そのままふらっと仙台まで行ってしまったこともありました。面接も立て続けに落とされて、本気で「終わった」と思いましたね。
そんなとき、P&G時代の先輩が連絡をくれて、まず1時間半こっぴどく説教されました。「転職するなら先に転職経験のある人間に相談しろ」と。そのあと、「まずは食っていかなあかんやろう。うちの会社にポストがあるから入れてやる。2年働いたら本当にやりたいことを探せ」と声をかけてもらったのがフィリップモリスです。

酒井
P&G時代の頑張りを見てくれていたんですね。

喜多羅
ありがたいことです。日々の信頼の積み重ねがいかに大事かということですよね。独立した今も、以前の会社やボランティア活動で知り合った方からお声がけいただくことが多いんです。後から振り返ると「あれがあったから今がある」とつながっていく。まさに「コネクティング・ザ・ドッツ」で、私が今やっている仕事の4分の3は、1年前には想像もしていなかったものです。

酒井
2013年に日清食品でCIOに就任されました。

喜多羅
当時の情シス部門はサービス子会社として切り出されていて、本社の要望に応えることがゴールになっていました。言われた通りに作り、言われた通りに修正するので、ユーザの満足度は高かった。でも私には、「それで本当に会社の価値を上げられるのか」という疑問がありました。
まず手をつけたのは、部門の方針を言語化することです。「売上と利益に貢献する、競争力のある情報システムプラットフォーム」という目標を掲げ、基幹システムの刷新に集中するために、100あった仕事を30に絞り込みました。本社のユーザ部門からは「なぜ今まで通りやってくれないのか」「なぜ急に難癖をつけるんだ」と反発もありましたが、丁寧に対話しながら方針転換の意図を伝え続けました。

酒井
情シスのメンバーはどんな反応でしたか?

喜多羅
初めは「なぜそんな高尚なことを」という反応でしたね。でも、「いてくれてよかったと言ってもらえる組織になろう」と伝え続けました。すると、「20年間ずっと鬱々としていたけど、光が見えた気がする」と言ってくれるメンバーが現れ始めました。40代のメンバーが初めてプロジェクトマネジメントを担ったり、育児で仕事にエネルギーを傾けられなかったメンバーが在宅勤務制度の必要性を自ら役員にプレゼンするようになったり。氷山の下に眠っていた意欲が引き出されていったんです。
リーダーだけが旗を振っても上滑りします。まず先行して変わっていく人たちを徹底的にサポートして、なりたい姿を体現してもらう。そうすると周りも「このままじゃまずい」「自分も変わりたい」と感じて動き始める。組織変革というのは、そういう連鎖で起きるものなんです。
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