情報格差を縮め、人々の健康に貢献する「わすれなびと」

エーザイ株式会社 コーポレートビジネスディベロップメント
執行役医学博士
鈴木 蘭美

認知症の方やその家族をサポートするための情報共有プラットフォーム「わすれなびと」。
本稿では、わかりやすいフィクションをもとに、その活用例を紹介する。

医療における最大の課題は、情報の格差ではないでしょうか。患者さんと医師のあいだにおける情報の格差は新聞などでも取り上げられておりますが、それ以外にも患者さん、ご家族、医師、看護師、病院経営者、介護と福祉の関係者、自治体、政府、製薬企業、医療機器メーカ等々、さまざまな関係者のあいだに情報の格差が存在します。

IIJの皆さまと創り上げた「わすれなびと」は、クラウド環境を活用した、認知症の患者さんのための自発的登録システムです。認知症・軽度認知障害の患者さんとそのご家族を対象とし、登録者はタブレット型端末を用いて東京大学医学部附属病院での検査結果を閲覧できるほか、外来受診時間外も主治医と掲示板を通じた対話ができ、薬剤師による服薬支援も受けられます。また、次回の診療に向けた準備アンケートを活用することで、外来受診時の問診負荷軽減も期待できます。

こうした機能が関係者間にコミュニケーションの広がりをもたらし、患者さんやそのご家族の負担軽減やベネフィットの向上はもちろんのこと、主治医、薬剤師、並びに医療・介護施設のスタッフが、患者さんの認知症・軽度認知障害の進展や体調をより正確に把握し、治療や介護などの課題を早期に解決できることが期待されます。

「わすれなびと」の有効性は、パイロットスタディ終了時に参加者の意見を収集することによって評価されます。「わすれなびと」は1人ひとりの患者さんに最適な治療とケアを提供する個別化医療の実現を目指していきます。パイロットスタディでは50名の患者さんを対象としていますが、将来的には世界中の人に活用していただくことを期待しています。

「わすれなびと」によってどのようなことが将来的に可能になるか、ここにフィクションを書いてみます。

「わすれなびと」の近未来図

40歳のサリーさんの両親は60代です。健在であるものの、父方の祖父母は二人とも認知症を発症し、在宅での介護が始まっています。サリーさんが祖母を大学病院のメモリークリニック(※1)に連れて行ったとき、医師は祖母の「わすれなびと」を見て「最近は徘徊の頻度が増していますね。服薬を忘れることもあるようです。今回はブレインスキャン(※2)をしましょう」と言いました。結果を見てみると、脳の萎縮とアミロイドの蓄積が進行していることがわかりました。医師から「これまで服薬している薬を止めて、新たな治療薬を試してみましょう。この薬は良く効きますが、まれに発疹が出ますので、その場合はすぐに連絡してください。薬が効かず、このまま認知症が進行すると、6ヵ月後には在宅でのケアがむずかしくなる恐れがあります。念のため老人ホームを今から探してください」と説明されました。サリーさんは祖母の手を握り締めて、ショックで頭が真っ白になりました。

(※1)「物忘れ」にお困りの患者さんを対象とした、認知症の専門医による専門外来。
(※2)ブレインスキャンは、診断などの目的でMRI、PET、CTなどの機器で脳を画像として現すこと。

家に帰ると、さっそく家族会議を開きました。「わすれなびと」で祖母のブレインスキャンや毎日の生活状況を過去の記録と照らし合せてみると、たしかに悪化しています。夕方には近所の薬剤師が訪ねてきて、新しい薬についての説明をしました。「わすれなびと」の「服薬時間のお知らせ」は1日1回から2回に変わり、「発疹はありますか?」という質問に毎日答えることになりました。新しい治療が始まって数日後、祖母の体を拭いていると発疹に気がつき、医師に発疹の写真をメールしました。夜中でしたが直ぐに返事があり、翌日の受診予約ができました。

サリーさんの父親は50代のときに「わすれなびと」に登録しました。その際の認知スコアは90点でしたが、60代半ばになって物忘れが気になり始めたので、もう一度認知スコアを測ってみると80点になっていました。その後、ブレインスキャンや血液検査を受けたところ、軽度認知障害の診断を受けたので、認知症予防のトレーニングを始めました。同じ診断を受けた人達が週に2回集い、一緒に脳トレを行ない、お互いを励まし合います。パーソナルトレーナーと筋トレを週に1回、睡眠は必ず1日7時間とり、栄養士と食生活を見直しました。脳の活性化を目指してダンスと合唱を始め、新しい友人もできました。努力が実り、2年後の認知スコアは90点、ブレインスキャンや血液検査の結果も正常に戻りましたが、サリーさんの父親はこれからも認知症予防のトレーニングを続けていきます。

それを見ていたサリーさんは、自分も「わすれなびと」に登録することにしました。認知スコアは95点で、ブレインスキャンや血液検査結果に異常はありませんでした。サリーさんのこのデータは、今後定期的に検査をする際の「ベースライン」として生涯活用されます。サリーさんが認知スコアで100点をとれなかったのは、今日が何年何月何日か言えなかったためです。彼女は子供のころから、日にちを覚えるのが苦手でした。人にはそれぞれ「癖」のようなものがあります。方向音痴だったり、人の名前を覚えるのが苦手だったり、絵を描くのが苦手だったり。このような「癖」を記録に残し、認知スコアを判定する際に考慮することも重要です。

さて、フィクションは続きます。大学病院は「わすれなびと」の情報を匿名化し、ビッグデータとして解析しています。ここ1週間、高齢者が肺炎で入院するケースが急増していることがわかりました。それに気がついた医師のパーカー先生が調べてみると、肺炎患者の大半が同じ町に住んでいます。自治体に連絡すると、町のスーパーの空調機に異常が見つかったとの報告を受けました。この肺炎の病原菌も判明しましたが、大学病院では前例がないため、治療薬の選択に困ります。他の病院と共有している「わすれなびと」のデータベースをパーカー先生が検索すると、3年前、同じ病原菌を持った患者さんの治療歴が見つかりました。それによるとペニシリンは効果がなく、セフェム系の抗菌薬が効果を示したと記載されています。さらに海外の「わすれなびと」では、ここ数年で20名以上の患者さんの治療歴が見つかり、その多くはセフェム系の抗菌薬で完治していることがわかりました。さっそくパーカー先生はセフェム系抗菌薬による治療を開始しました。また、ここ数年で病原菌の報告が増えていることを発表し、原因究明に向けて国際的なタスクフォースが立ち上がりました。

製薬企業は匿名化されたビッグデータを活用し、自社の薬が良く効く人と効かない人を比べてみました。すると、他社の薬が併用されている場合、自社の薬が良く効くことがわかり、合剤の開発を始めることにしました。一方、特に効かない人の多くは、BMIが低く「痩せすぎ」のカテゴリーに入るため、栄養失調の可能性が示唆されました。食生活と治療効果の関係性について調べるために、治験を開始しました。

IIJのサポート

いかがでしょうか?近い将来、「わすれなびと」によって人々の健康は向上し、そこには救える命がたくさんあると思います。

最後になりましたが、IIJの皆さまによる「わすれなびと」や「プロジェクトタミー(がん患者さんを対象とした自発的登録システム)」についての、多大な貢献に深く感謝を申し上げます。IIJは、ヘルスケアにおけるICTの将来性をいち早く理解してくださり、いつも丁寧に仕事をしてくださいます。こうしてIIJの皆さまが心をこめて創り上げるICTシステムが、情報の格差を縮め、医療の品質を高めて、人々の健康に貢献することを確信しております。

(イラスト/STOMACHACHE.)

鈴木 蘭美(すずき らみ)
1999年ユニバーシティカレッジロンドン医学博士。2000年インペリアルカレッジ/腫瘍・メタボリック病学部ポスト博士号研究員。01年~04年ITXコーポレーション/ライフサイエンスファンド。04年エーザイ欧州株式会社入社。06年エーザイ株式会社本社入社。現職はコーポレートビジネスディベロップメントの責任者として、M&A、導入導出、オープンイノベーション、アライアンスなどを手がけている。文部科学省ライフサイエンス委員、並びにJST科学技術振興機構CREST領域アドバイザー。国立国会図書館の報告書の委員を務め論考を発表した(https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_9913549_po_20150420.pdf?contentNo=1)。ライフワークは、がんの完治と認知症の予防。

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※IIJグループ広報誌「IIJ.news vol.134」(2016年6月発行)より転載